「宣教の始まり」 06.02.12
使徒言行録13:1〜12
聖書はわたしたちの姿を映す鏡です。その意味でも、聖書に
描かれている初期の教会の様子を見ることは大事なことです。
現代の教会も心にとめておくべきことがたくさんあるからです。
アンティオキア教会は、11章にもその様子が書かれていました。
この教会の出発の際に、大きな働きをしたのは無名の人々でした。
神さまはその人たちを助け、大きく用いていかれました(11:20〜21)。
伝道に対して、「自分は小さい者ですから…」などと言って縮こまって
しまう必要のないことを知らされます。
神さまは、名もなき小さなひとりひとりの信徒の行う伝道の働きを、
助けてお用いくださる方です。
この教会に連なる人たちは、周りから「キリスト者」と呼ばれ
ました(11:26)。日常生活の中で、キリストを指し示す証の生活を
していたからでしょう。
おのおのの与えられている場所(家庭、職場、地域)でイエスさまを
指し示す生活をしたいと思います。
また、他の教会を支援する教会でした(11:29)。
枚岡教会も、創立以来たくさんの支援を受けながら歩んで
きましたが、今では、他教会を支援する教会として成長させて
いただきました。
他教会へ伝道協力しながら主に仕える教会でありたいのです。
さて、この教会には、民族、文化、生活環境、宗教背景の違う
人たちが集まっていました(13:1)。
教会には多様な人が昔も今も集められてきます。
ですから、「自分はどうも違う…」とか「あの人はどうも違う…」などと
いう必要はありません。
教会にいるのは、すべて神さまが呼び集めてくださった人たちです。
主の選びを信じるとき、違いは豊かさになります。
教会では、断食をし、他者のために何ができるかを祈り求めていました。
そして、教会にとっては痛みを覚えることですが、救いを必要とする他の
地域の人々のために、自分たちの二人の指導者を手放すことにしました。
人の救いのためには、自分たちが痛みを受け入れることを
いとわない教会でありたいのです。